東京高等裁判所 昭和32年(ラ)230号 決定
記録によつて調査すれば、次のとおり認めることができる。すなわち、本件債権者松本松寿は昭和三十一年三月八日本件物件につき強制競売の申立をなし東京地方裁判所昭和三十一年(ヌ)第一三七号として係属したが、この物件に対してはこれより先昭和二十九年十二月二十五日同一の債権者の申立によつて同裁判所昭和二十九年(ヌ)第九〇一号事件として強制競売開始決定があつたので、同事件の記録に添附されたものであるところ、原裁判所は右九〇一号事件について手続を進め、鑑定人の評価に従いその当初の最低競売価額を金百四十五万円と定め、昭和三十年五月二十八日第一回の競売期日を開いたけれども競買申出人がないため競売は中止され、同年七月五日の新期日が定められたが、その直前執行文付与に対する異議の訴にともなう強制執行停止決定がなされたため手続の進行は停止せられているうち、昭和三十一年五月二十一日右債権者は右九〇一号事件の競売申立を取下げた。そこでこの事件記録に添附された本件の右一三七号事件のため競売開始決定があつたことの効力を生じ、原裁判所は昭和三十一年十一月十二日最低競売価額を金百十六万円(当初のそれの二割減)と定めて新競売期日を開いたが、競買申出人なく、ために爾後昭和三十二年一月二十一日、同年三月一日とそれぞれ新期日を開き、最低競売価額を順次九十二万八千円、七十四万二千四百円(順次二割減)と低減したが、いずれも競買人なく、最後に同年四月一日最低競売価額を金五十九万四千円(約二割減)と定めて新期日を開いたところ、内藤仙二郎において最高価金七十八万千円の最高価競買申出をしたので、原裁判所は同年四月十一日の競落期日において右内藤に右価額で競落を許可したという次第である。
しかるに本件物件については栗原豊吉において差押債権に先立つ債権として昭和三十年八月十八日設定の抵当権によつて担保される債権元本金六十万円利息年一割八分弁済期同年十一月十七日期限後の損害金日歩九銭八厘なる債権を有し、右栗原は現に右元本金六十万円及び弁済期の後である昭和三十一年二月十九日から支払ずみまでの約定損害金の支払を求めるため、右抵当権にもとずき競売の申立をし(東京地方裁判所昭和三十二年(ケ)第四一〇号事件)、同裁判所はこれを本件競売記録に添附したことまた記録上明らかであり、右競売期日たる昭和三十二年四月一日現在の栗原の請求元本及び損害金の合計は金八十三万九千三百十六円となることは計算上明らかである。
民事訴訟法による不動産の強制競売手続において、競売期日に許すべき競買価額の申出がないときは、裁判所はその意見をもつて最低競売価額を相当に減額し新競売期日を定め得るが、右価額の低減は同法第六百四十九条第一項の規定を害しない限りにおいて許されるものであることは明文上疑いがなく(同法第六百七十条)、右第六百四十九条第一項によれば「差押債権者ノ債権ニ先タツ債権ニ関スル不動産ノ負担ヲ競落人ニ引受ケシムルカ又ハ売却代金ヲ以テ其負担ヲ弁済スルニ足ル見込アルトキニ非サレハ売却ヲ為スコトヲ得ス」と定められていること明らかであるから、本件においては前記最高価競売価額の低減は少くとも昭和三十二年四月一日のそれは右栗原の債権額のみを考慮しても、これに充たないことは明白であり、その不当なことは明らかである。しかもこの期日における最高価競買価額七十八万一千円が右差押債権に先だつ債権を弁済するに足りないことは自明であり、競落人において右不動産上の負担を引受けた形跡も認め得ない。しからば、本件競落は法律上の売却条件に牴触して競買をしたものとして、その許すべからざるものであることは明らかである。もつともこのようにして本件不動産上の負担を弁済するに足る額を最低競売価額とし、それ以下に低減し得ないものとすれば、許すべき競買申出人はないこととなるであろうことは、本件における前記競売の経過にてらして明らかであるが、この場合は裁判所は同法第六百五十六条の手続によつて処置すれば足るから、これによつて競売手続の進行を事実上阻害することとなるわけではなく、また添附債権者の権利を害するものでもないといわなければならない。
しからば本件競落はこれを許さないこととし、これと異なる原決定は失当であるからこれを取り消すべきものである。
(藤江 谷口 浅沼)